ワークショップの成果って何

・ワークショップでなにが変わる

あらためて、従来のアンケートや説明会、勉強会、シンポジウムなどと比べ、ワークショップという手法による成果の違いは何なのでしょう。まちづくりに対する「住民参加」の機会ということでいえば、従来の手法も否定されるものではありません。「ワークショップ」という言葉とやり方の新規さで、行政の「住民参加」を目指す新たな姿勢を印象づける効果はあるかもしれませんが、それが目的というのでは、あまりにもワークショップを矮小化していると思います。また、「ワークショップの成果」=「地域の合意形成」とするのは危険です。では、ワークショップの本質的成果は何かについて、私なりに感じていることを述べてみたいと思います。

・築かれる住民と行政の信頼関係

第1には、住民と行政の信頼関係の構築があげられると思います。住民と行政が同じテーブルで情報を交換し、知恵を出し合うという体験をつうじて「住民は一方的に要求するだけではない」「行政は一方的に計画を押しつけるだけではない」といった意識が相互に生まれてきます。それは、目に見える形で現れます。特に行政の担当者の方が顕著です。どうしてだかわかりませんが、彼らは住民と向き合うと表情が無くなってしまいます。ひとりの人間としての顔ではなく、組織の顔となるのでしょうか。理由はともあれ、その表情の無さが「行政は裏で何を考えているかわからない」といった不信感を増幅させます。ワークショップに参加した行政の担当者は徐々に人間としての顔を取り戻し、その顔で担当部局の考え方や関連部局の認識の状況、県や国の対応などを語るとき、住民との間で初めて共通の理解が生まれてきます。そのうえで、どうすればまちづくりの課題をひとつでも解消できるのか、少しでもまちづくりの目標に近づくことができるのかについて一歩進んだ議論ができるようになります。

・高まる地域の「まちづくり力」

第2には、地域における「まちづくり力」が高まります。ある地域では、ワークショップを契機にまちづくりに主体的に取り組むグループが誕生しました。別のケースでは、それまであまり積極的な関係を持たなかった商店街、町内会と地域の若いおかあさん達が協働でまちづくりに取り組む体制ができるようになりました。町内会を中心とした従来型の地縁的コミュニティが力を弱める中、ワークショップという「場」を通して、新しい地域ネットワークの「芽」が形成される可能性があるという実感をもちます。計画に対する地域合意の形成が大きな目的としても、合意が「納得」というレベルなのか「参画」というレベルなのかによって、その後のまちづくりの展開は大きく違うでしょう。地域のまちづくりを支える力を育てるきっかけづくりとしてもワークショップの意義はあると思います。このような成果は従来の説明会などでは決して生まれないものです。

・「不可能」を「可能」にするパートナーシップ

第3には、住民と行政のパートナーシップ効果です。まちづくりは総合的なもので、いくつかの計画、事業が複合的に連携して初めて効果のあるものといえます。しかし、行政の機構は依然と縦割りで自分の部局の都合の良いことには積極的ですが、重荷になることには消極的になります。ひとつの地域で関連する部局総てに都合が良いまちづくりなどは滅多になく、どこかは難しい課題を背負い込むことになります。実際に関連部局のひとつの「それは不可能」の一言で全体が暗礁に乗り上げてしまうこともあります。明らかに地域の実情と事業などの成立要件が不一致の場合は別ですが、「不可能」という言葉の内容が実は「簡単ではない」あるいは「可能性が低い」という場合があります。また、担当者がまちづくり全体の中でその「簡単でない」事業の重要性を充分認識していない場合もあります。仮に「簡単ではないができればその可能性を追求してみたいのだが」と前向きな認識を持っていても、いざその姿勢を住民の前に示すということになれば「腰が引ける」ということがあります。従来の一方的に行政が計画を示し理解を求めるというケースでは、当然、住民の側からすれば「そうまでして言ったからには必ず実行する行政の責任がある」という事になります。ですから、行政の方もどうしても「必ず実行できる」というものでなければ取り組まないということになります。それに対してワークショップという「場」を通じて住民と行政の信頼関係が生まれると「努力目標」という言葉が両者の間で市民権を得ることが可能です。私が関係した事例を少し紹介しましょう。行政の視点でまちづくりの重要課題と思われるものについて、事業化に向けて困難はあるものの「可能性を検討する」という関係部局間の基本合意をもとに、地域でのワークショップがスタートしました。ワークショップではやはりその問題が中心課題として住民側からも提起され、それを住民と行政の間で共有する「努力目標」として位置づけることにしました。ワークショップの「場」をつうじて住民は、行政の「実現へ向けて関係機関との協議や事業化への条件整備など最大限の努力をするが、その努力が実らない場合もある」という言葉を、行政の逃げの言葉ではなく信頼感をもって見守り、住民側としても地域でのまちづくり機運を高めより広範で強固な合意形成へ向けての取り組みをおこなうという体制が生まれました。その後、地域では、地元組織が勉強会や通信の発行などを行政の支援を受けながら展開し、その動きは逐一行政の関係部局会議に報告されていきました。行政内部ではそのような地域での動きを受ける形で、当初の可能性についての往きつ戻りつの議論から一歩進み、関係部局間の基本合意も「可能性を検討する」から「可能性を追求する」という表現にレベルアップし、実現化へ向けて一応の目標年次を設定するところまできました。今後も予断は許せない状況ではあるものの「不可能」が「可能」へ確実に近づいているといえます。まちづくりは、本来そのようなダイナミズムのなかでより高次の内容を獲得できるものではないではないかという気もします。その背景にはワークショップという「場」が重要な役割を果たすのです。そのためには、ここで述べてきた綿密に考慮されたプログラムと運営が不可欠なのです。