ワークショップをうまく運営するコツ(始める前に)

・「何のためにやるの?」-目的、成果を明確に-

ワークショップをうまく運営するコツについて、こうすれば絶対にうまくいくというのを書く能力はありませんが、こうしなければ絶対に失敗するというポイントはありそうです。その第一は、目的を明確にすることです。なんのためにワークショップを行うのかを主催者はよく話し合っておく必要があります。あたりまえのようでいて、実はこの目的がはっきりしないことが多いのです。例えば、ある計画を住民の方々に納得してもらうために行うのか。計画にいくつかの代替案あり、住民の方々に選択してもらうために行うのか。あるいは、計画に対する地域ニーズを把握するために行うのか。また、これから地域で必要とされる計画はなにかを地域の住民の方々といっしょに探るために行うのか。いろいろなケースが考えられると思います。「ひろく住民の皆さんの意見を聞くためにワークショップを・・・」といっておきながら、実は計画の見直しがきかない状況のものであればかえって住民の信頼を裏切ることになります。住民の立場になれば、今までの例からして、行政は計画を決めていて住民に押しつけるといった警戒感を持っていることが多いと言えます。あいまいな、玉虫色の目的を掲げると、あとあと住民との関係がやっかいなことになります。

これと似たようなことですが、ワークショップの成果がどのように生かされるのかも明確にしておく必要があります。住民の意見を聞きっぱなしにするぐらいなら、やらない方がましといえます。また、行政の「いいとこ取り」も感心しません。とはいっても現実には「いいとこ取り」になる場合もあるので、その可能性がある場合は、あらかじめ参加者に明らかにしておく必要があるでしょう。この場合、参加者の反発も予想され、なかなか言い出しにくいことなのですが、なぜそうなのか行政の事情など誠意をもって説明すれば、多くは納得が得られます。その努力をおこたると、やはり後々面倒なことになりせっかくの成果も無になることもあります。

いずれにしろ、ワークショップは参加者による創造的な議論の「場」なのですから、あまり結論が決まっていることや、はなから「いいとこ取り」狙いなのであれば別の方法をとるべきだと言えます。計画を住民の方々にどうしても納得してもらう必要があるなら、誠意をもってわかりやすく情報を伝える「説明会」をおこなう方が良いと思います。

目的があいまいなまま始まるワークショップは、運営する方としても参加者になんと言えばよいか困りますし、なんとなく玉虫色に説明しなきゃいけない自分が悲しくなります。やはり、そのようなワークショップは十分な成果をあげられないでしょう。

・「落としどころ」は「落とし穴」

よく行政の担当者とワークショップの企画を考えているときに、「落としどころ」を明確にしておく必要があるという議論がでます。この「落としどころ」の発想が実は「落とし穴」になる場合があります。「落としどころ」という言葉を「目的」、「成果」として使っているのであれば問題はありませんが、「ある一定方向の結論に導く」といったニュアンスで使われることが多く、その場合はよく担当者と議論する必要があります。「結論に導く」ということを意識してワークショップを運営すると決してよい「場」が生まれません。この点は、あとで詳しくふれたいと思いますが、私はよい「場」がうまれれば、決して無茶苦茶な結論にいたることは無いと信じています。逆に「結論を、結論を・・・」という主催者の姿勢が参加者に伝わると、不必要は反発を生み、かえって思わぬ結果になる危険もあるといえます。

・重要な主催者の「受け止める体制づくり」

目的、成果を明確にするのと、もう一つ重要なのは、主催者の「受け止める体制づくり」です。本来、まちづくりの話は、行政の縦割り機構ではカバーできないものです。ワークショップを主催する行政の担当者がどの部局に属するかは、住民からすれば関係のないことで「まち」を総合的な環境として捉えています。最初から関係しそうな部局には、それとなく声をかけ、できれば連絡調整会議をあらかじめセットしておくのが望ましいと言えます。とはいっても、「よけいなことをする」と冷たく他人事のように言われることも多いでしょう。そこが、行政マンとして知恵と力の発揮すべきところです。実は他人事にようにいう他の部局も、その地域では必ず何らかの行政課題をかかえているはずです。その点をうまくとらえて、自らの問題として考えてもらえる土壌をつくる必要があります。そのかわり、庁内調整と地域との調整といったやっかな作業と責任は背負い込むことになります。それは住民参加のまちづくりや、住民主体のまちづくりをすすめる上ではしょうがないことです。ただ、行政内の機構として、そのような調整作業をするセクションが明確になっているほうがやりやすいのはいうまでもありません。そのような機構がある場合は、そこと共同で地域にはいることを考えた方が良いでしょう。そのような機構が無い場合は、覚悟を決める必要があります。

私のかかわったある事例では、事前に関係しそうな部局に集まってもらい、共通の課題認識を得るための庁内ワークショップをおこなってから地域に入りました。どうも、地域の合意形成より難しいのは行政内部の合意形成かもしれません。これも、あとで詳しくふれたいと思いますが、最初から強固な行政内の結束が得られなくても、地域のワークショップの成果が行政の内部の雰囲気を変えることもあるので、ねばり強い取り組みが必要かもしれません。いずれにしろ、どこにも声をかけずにワークショップをおこなうと、住民の信頼を失うか、行政の内部で孤立するか、その両方かといった苦しい立場になる危険があります。

安易に「なんでもワークショップ」というのは、慎むべきかもしれません。

・ワークショップは性善説:信頼することから始まる

とはいっても、私はまちづくりにおいて「ワークショップ」はすぐれた手法だと信じています。その根底には、住民は決して「すきかってなことをいう分からず屋」ではなく、逆にまちづくりを考え、よりよい方向を発見する優れた力をもっているという信頼があるからです。主催者も、そのような信頼の気持ちをもってのぞむことが成功への道だといえましょう。多くの場合、住民が「すきかってなことをいう分からず屋」になるのは、行政が十分な説明をしなかったり、成果に対して実現へ向けて誠意をもって努力する姿勢がない場合に、そのような「表現」をするのだという気がします。