ワークショップをうまく運営するコツ(ふりかえって)

・参加者の帰りがけの表情が今日のワークショップの評価

そのワークショップがほんとうにうまくいっているのかは、参加者の帰りがけの表情に読みとれます。良いときには、なごやかな表情が全体にひろがっています。それに二人、三人と立ち話の輪ができ、なかなか会場から立ち去らないこともよく見られます。一方、問題を残したワークショップでは、表情も硬く足早に帰られます。まったく好対照です。後者の場合をスタッフの一人は「気持ちのこもってないワークショップ」と呼んでいますが、なんとなく言い得て妙といった感じです。どうして、そうなってしまうのか反省するのですが、基本的にはプログラムの問題と思います。しかし、どうも「セミプロ」や「プロ」の参加者がいる際にそうなりがちなのが気になります。彼らの多くはワークショップに対してクールなようです。私も、当初はワークショップに対して何か胡散臭いものを感じていました。笑いをとるようなファシリテータの話ぶり、ゲーム性を重視したプログラムなど、以前住民運動で真剣な議論を積み重ねてきた経験からすると、どこか積極的に乗り切れない「気持ちのこもれない」体験でした。運動や仕事には明確な目的意識と到達目標が必要です。ワークショップも基本的には同じなのですが、でも実際に運営の側にまわると、いろいろな考え方をもった人達の間で創造的な議論をする「場」をつくるうえでは、少しニュアンスが違うような気がします。

・心地よくなければ参加する気になれない、心地よいだけでは参加している意義がない

ワークショップの後で参加者に感想を聞くと、「こんな楽しいワークショップなら、何回でも参加したい」とか、「人前で自分の意見をきちんと言うことがこんなに楽しいなんて」と言ってくれることがあります。ワークショップに参加する人は、まちづくりに対する思いがあって貴重な時間をさいて来てくれるわけで、参加しなければいけない義務があるわけではありません。ですから、「こんな重要なことを話しているのだから・・・」ということで、どんな状況でも我慢して議論に積極的に参加することを求めるのは継続しません。何か、参加すること自体が、自己表現や自己実現といったものに結びつくことによって参加の動機が増幅し、継続する力となると考えられます。そのような心地よさがワークショップには必要です。しかし、一方で心地よさだけでは参加している意義がありません。参加者のまちづくりに対する思いを明確な目標のもとに、確実な成果として形にする必要もあります。両方を満足するプログラムを考えるのは、それなりの工夫が必要です。