現場主義-まち歩きを大切に-

・「このあたりのことは良く知っている」人に限って知らない身近な環境

まちづくりワークショップでは、できるだけ早い時期に「まち歩き」をすることにしています。机に向かっての議論は、どうしてもそれまでの自分の考え方にとらわれがちです。多様な関心や価値観の人々が、なにか共感するものを発見していくには「現場における体験の共有」が重要だと思います。対象となる地域が限定されている場合は、よく「このあたりのことは良く知っているので、今さら歩いてみる必要はない」ということを言われる人がいます。相手がお年寄りだったり、ちょっと天候がすぐれない場合などは気持ちがぐらつきがちですが、そこは心を鬼にしてとにかくまちに出てみましょう。いつも通る道でも「ここにこんなものがあったのだ」という新たな発見が必ずあり、あとで「いや、今日のまち歩きは大変勉強になったよ」と言われるはずです。

・視点を変えれば見えるものも違う

日常見慣れた風景は、空気みたいなもので「なにかがある」ということを意識しないことが多いものです。たとえば、道ばたにどの様な植物がみられるのか。歴史を感じさせる古い建物がどこにあるのか。どんな形や素材をつかった建物が多いのか。体の不自由な人の立場になってまちにどのような問題があるのか。いろいろ視点を変えれば、日頃見慣れた風景の中に必ず新しい発見があります。逆に考えると、机に向かった議論だけでは環境に対する事前の思いこみに左右され、他人の見方、考え方に共感を見いだす機会を逸する可能性があるということです。一緒に歩くことによって、思わぬ発見などを共有する中から創造的な議論ができる第一歩が踏み出されるといえましょう。特に、行政の担当者と住民にとって互いの意識の垣根を低くする重要な機会です。

・ただ歩けば良いというものではない

とはいっても、ただ歩けば良いというものではありません。漠然と雑談をしながら散歩をしても成果は生まれてきません。逆に「ここの環境にはこういう問題があります」とか「ここは大切にすべき場所です」とか一方的な解説をしながら歩くのも、体験を共有するという面からするとあまり良いとはいえません。適切な視点と具体的な作業を決めて歩くことが必要です。例えば、「住んでいて誇りと思える、心の拠り所となる場所や、モノを見つけてきましょう」とか、「歩いていてホッとする場所、さわやかな気分になる場所を探してきましょう」とかいったテーマを決め、地図に印を付けてきてもらうことなども一つでしょう。その時、テーマ毎にグループ分けし「○○チーム」とか名前を付けると目的が印象づけられます。あるワークショップでは、「心チーム(まちのシンボル)」「肺チーム(緑などのアメニティ)」「筋肉チーム(魅力的なお店などの活力)」など人の体にたとえ、そのまちのどの要素が生き生きとして、どの要素が病んでいるのかを確認してもらいました。別のワークショップでは、グループ毎に自主的に視点と具体的な作業を決めて歩いてもらいました。その時はこちらでポラロイドカメラや白地図、プロット用のシールなど使えそうな道具をいろいろ用意し、必要なものを選んで歩いてもらいました。あるグループは、お店でタダでもらえるものを集めてくるという作業をしてきました。お店のパンフレットやまちの案内地図などですが、情報発信に熱心なお店の集まるエリアとそうでないエリアや、センスの良いエリア、生活臭のするエリアなどが浮かび上がりとても面白い発表になりました。どこかで機会があればそのアイデアをパクろうと考えています。

・まとめのワークショップもできれば外で

天気が良ければ、まち歩きのまとめを屋外でやるのも良いでしょう。ある時は神社の境内をお借りして日除けのシートをはって即席の発表会場をつくりました。とても暑い日だったので冷たい飲み物を用意し、それも休日に参加してくれたおとうさん達には缶ビールという大サービスつきで、なごやかな雰囲気の中印象に残る発表会ができました。また、役所の関係部局を対象に3〜40人参加しておこなったまち歩きでは、コースの途中で「名物?」をさがして買ってくるという課題もおりまぜて、最後に公園に集まり、これまたビール片手で発表会をおこないました。なんと不謹慎なといわれそうですが、集合時間をちょうど5時過ぎに設定する配慮はしました。それに、日頃は自分の担当する事業といった狭い視点からしか見ていなかったのに対して、生活者の視点に近いところからもう一度まちを見直すきっかけにもなりましたし、横断的な議論の場をつくるのには、それくらいくだけた状況設定も必要かと思います。