ワークショップをうまく運営するコツ(こまった参加者?)

・進行に協力的でない人

ワークショップを運営していると、必ず「こまった参加者」がいるものです。全体の進行を無視して発言する人、他の参加者を威圧するように大きな声で話す人などいろいろです。しかし、私の経験では、最後まで本当にこまった参加者だなと思うのはごく希で、そのような人は最初からまちづくりの話し合いの場を混乱させ、じゃますることを意図している場合です。(テーマによってはそのような参加者もいるので、ファシリテータはほんとうに大変です)。進行に協力的でない人は、自分の思いを言いたくてしょうがなく来ていて、どこでそのような話題になるのかつかめずに、とにかく思いあまって発言してしまう場合が多いといえます。最初のプログラムの説明が重要なのは、そのような不幸な状況を未然に防ぐためです。もし、仮にそのような発言があった場合も、全体のプログラムを示し、「その話題は、この時間からしたいと思いますので、その時まで我慢していてください」とことわって、もとの流れにもどしましょう。ただし、会場全体の雰囲気が、その話題が最優先だということになれば、臨機応変に対応する必要があります。

・声の大きな人

声の大きな人は、他の参加者が発言しづらい雰囲気をつくるので、これも確かに困ります。あと、しゃべりだしたら止まらない人も困ります。それに、何回も発言して他の参加者の発言時間を奪ってしまう人もいます。これらは、ほとんどが熱意のある人なのですが、自分の意見が最も正しいと思いこんでいるところが玉に瑕です。自分の意見をいうことと、他の人の意見に耳を傾けることが同じように重要であることを理解してもらわなければなりません。とはいっても、直接そのようなことをいっても、そもそも耳をかしてくれるかどうかわかりません。なるべく、他の参加者の発言の機会をもうけるようファシリテータは努力する必要があります。少々、強引ですが、他に発言したそうにしている人がいないか全体をよく見て、いたらその人に目を向けながら「他に意見をお持ちの方は・・・」と促すことも有効かもしれません。しかし、あまり特定の人の発言が続いた後だと、会場全体がさめた感じになり、孤立無援になることもあります。そのような状況を未然に防ぐために、あまり話が長い場合は、発言の趣旨が読みとれた段階で「はい、わかりました。○○ということをおっしゃりたいのですね。なるほど、なるほど。」とまとめて、切り上げることも必要です。この場合、「なるほど。なるほど」が重要で、発言を無視しているのではないという印象を与える必要があります。

そもそも、そのような状況になるのは、ワークショップの初期の段階で、全体議論をしている時が多いような気がします。多くの人を前に話す機会が少ないので、ともすると発言しているうちに知らず知らずに本人のテンションが高くなる場合があるのです。そのような時は、本人も止まらなくなり実は困っている場合もあります。そう感じられたら笑顔で「ハイ、わかりました」と止めてあげるのも意外とうまくいきます。本人も少々照れながら、「いや、つい力がはいっちゃって」と引いてくれたりします。

その点、グループ議論の場では、いわゆる演説を打つ雰囲気にはならないので、困った人がでる可能性は低くなります。むしろ、なんとか議論を盛り上げよう、あるいは良い方向に導こうと考えるファシリテータの方が、大きな声で演説しがちになるのを気をつけましょう。それでも、声の大きな人や発言しない人が出る場合もあります。その場合は、発言を求める前に少し時間をかけて自分の意見をメモしてもらい、そのメモをもとに順番に発言してもらうことも有効です。

・セミプロのような人

私の体験で、最もやっかいだったのは「セミプロ」のような人です。実際にまちづくり活動に参加している人などですが、一般の参加者とは問題意識のレベルや、まちづくりに関しての専門知識の蓄積が違うので、同じテーブルで議論するのはなかなか大変です。一般参加者は、一歩一歩問題を自分のものとしていくプロセスが大切で、まちづくり活動に参加している人は自分の問題意識の枠の中で解決策をいかに早く引き出すかということに関心が集中しがちです。両者の持ち味を活かせば、まちづくり活動に参加している人は、どうすれば問題意識を一般の住民と幅広く共有できるかを考える場となるはずですし、一般参加者は住民同士の話し合いのなかから問題意識を広げる機会ができることになるはずです。しかし、現実は両者の間に意識的な壁ができやすいといえます。少し横道にそれますが、最近、まちづくり活動などに参加されている方が自ら住民との間に意識的なバリアーをつくりがちなような印象をもっています。私も10年以上まちづくり活動に参加していたことがあるので、一刻も早い問題解決を望む気持ちと、行政や一般の人々の問題意識の低さ、無関心さにはイライラすることがあるのはわかります。しかし、運動の輪を広げるのは「啓蒙、啓発」よりは「共有、共感」を意識することの方が重要なのではないかと考えます。適切な例かどうかわかりませんが、体が思うように動かせなくなった親の面倒をみることになった人が、バリアフリー問題に取り組む団体に相談したエピソードをこのまえうかがいました。団体のメンバーが親切に時間をさいて、自宅の環境を見てくれることになったのですが、バリアフリーの基準にてらしてこの敷居が問題だとか、階段の段差や手すりの位置が問題だとかを指摘されていったそうです。それぞれ重要なアドバイスなのですが、相談した人が求めていたのは、そのような知識ではなく突然訪れた状況に向き合うための漠然とした不安や、親がそうなってしまったことへの悲しみをどう自分で受け止めていくかといった、心の第1歩を踏み出す助けだったのです。まちづくりでも、大切なのはそこで生活されている人の声にじっくり耳を傾ける姿勢ではないでしょうか。「セミプロ」参加者と一般の参加者の壁をどのように乗り越えるか、あまり良いアイデアはありませんが、経験からすると部屋の中での議論より、外に出て現場でものを考える機会を増やすことが良い方向に向かいやすいような気がします。

・飛び入りの参加者

ワークショップも2回、3回と回を重ねるとだんだん良い雰囲気になってきます。そのような積み重ねの成果が出始めた頃に「飛び入り」で参加される方がいます。私は基本的にワークショップを意志決定の場とは考えていないので、参加については「お出入り自由」とするようにしています。もちろんあまり出てしまうと問題なのですが、途中参加者は歓迎しています。とはいっても、結構、途中参加者のなかには行政への日頃の不満をぶつけたくて飛び込んでくる人がいます。ワークショップは限られた時間と回数で行っているので、そのような人の参加は全体の流れをグチャグチャにするのではないかと不安になります。でも、排除はしないで辛抱強く対応する必要があるのではないかと考えています。そういう人が後々、良い役割を果たすことがあるからです。

・「場」が人を変える

あるワークショップで、飛び入り参加者がいたので自己紹介をお願いしたところ、「日頃、行政のやり方には大きな不満をもっている。今日はどうしても3つの事を言いたくてここに来た」ということでした。その場で話を聞いてしまうと、内容によっては参加している行政の担当者とのやりとりも必要になるかもしれないので、当日の会の目的と流れをお話しして、「最後に時間を取りますから、その時に思う存分お話を聞かせてください」とお願いしました。一応、納得していただけたので、グループに参加してもらい一緒に作業や議論をしてもらいました。その回は4回目で、ある施設がどうあったらいいか「完成したときの情景を頭に浮かべ、こんな施設になったらという物語をつくろう」というものでした。果たしてどうなるか不安だったのですが、物語の発表では参加者が笑い転げるなど結構楽しいワークショップでした。いよいよ最後に、参加者が見守るなか飛び入り参加者の方にお話をしてもらうと、やや間があったあと「今日の会は予想していたのとは違ったが、住民がこのようないろいろなアイデアと意見を出し合う場はすばらしい。それに行政の方も一緒に参加して耳を傾ける。このような場がもっと早くにできていれば私が話したかったこともおきなかったのではないだろうか。本当は3つ言いたいことがあったのだけれど、ひとつだけ・・・」といって、まちづくりへの思いを語ってくれました。その人は町内会の役員さんで、日頃は行政の上のクラスの人に意見を申し上げるといったかたちでがんばられていたのですが、住民が主体的に行政と一緒にまちのことを考えるとう機会にふれ、思うところがあったようです。その後のワークショップは全部出席され、地元の町内会仲間にも、「こんな会があり、こんな進め方をしている」と紹介していただき、町内会でも皆が考え意見を言える場をつくることに取り組まれています。つくづく「場」が人を変えることがあるのだと考えさせられたエピソードでした。後で聞いたことですが、行政の担当者も住民の人と一緒にまちづくりを考える自信と、必要性に確信をもったといっていました。ワークショップの運営もあまり型どおりにすすめようと言うのではなく、状況にうまく身をまかせる術が必要なのです。