わかりやすいとわかりにくいでは大違い

・聞こえない声、見えない文字や図は無いほうがマシ

挨拶やその後の説明などの場合に注意しなければならない点があります。まず第1に「はっきりとした声でゆっくり話す」ことです。それも一本調子の演説ではなく、参加者に語りかける気持ちで話すことが重要です。私とよくチームを組む行政の担当者も、そのことは良く理解しているのですが、よほど意識してしゃべらないと、時には「あなたの話は、専門的な言葉も多く流れるように話すので、とても聞きづらい」と会場からお叱りをうけたりしています。次に注意しなければいけないのが説明用に書き出す「文字や図を見えるような大きさで」ということです。特に地図などは見えにくいことが多いので、参加者との距離などをよく考え大きさも工夫する必要があります。参加者が多く、小体育館で行うことになったワークショップでは、人の背丈の倍以上の地図を用意したり、床いっぱいにテープで平面図を書いたりしました。平面図は、参加者にステージにあがってもらい、ことらは床をあちこち走り回りながら説明しました。いずれにしろ、「聞こえない声、見えない文字や図は無いほうがマシ」といった気持ちで取り組む必要があります。

説明資料は大きければ大きいほど良い
体育館の床にテープで施設の平面図をかいて
あちこち走り回りながら説明

・わからないことには積極的にならないし、反対もしたくなる

なぜ、「聞こえない声、見えない文字や図は無いほうがマシ」なのか。自分自身そうですが、説明の声が良く聞こえなかったり、文字や図が読みとれないと、イライラしてきます。内容がよくわからなければ、説明を聞くのも面倒になり、その後の議論にも積極的に参加する気が失せてきます。それだけならまだしも、わからないイライラが、内容そのものへの「反対」といったかたちで現れることがあるような気がします。「計画になかなか理解が得られない」という場合は、計画の内容が悪いのではなく、「説明が理解できない」「理解できないような説明しかしない行政」「行政はやはり独善的」といった思考展開の末、「行政の計画にはとにかく反対だ」となることも結構あるのではないかと考えています。

・わかることは気持ちがよい

反対に、説明などが非常にわかりやすい場合は、参加者もその後の議論に気持ちよく加わることができるようになります。先にもふれましたが、行政の担当者はどうしても専門用語を使いがちです。それも略語を使ったりすると、コギャル言葉とほとんど一緒になってしまいます。今までの経験では、重要な内容はファシリテータと掛け合いで説明するのが効果的なようです。ファシリテータは常に参加者の耳になって、少しでもわかりにくい表現などあれば、「翻訳」をして伝えるようにしましょう。たとえば、「この”がいろ”は27mで”とけつ”されているので、”けんちくこうい”を行われる際には”けいかくせん”まで”せっとばっく”する必要があります」などは「この道は27mにひろげることになっているので、建物を建てるときはそこまでさがって建てる必要があります」で十分通じると思うのですが。ファシリテータの役をまちづくりコンサルタントがやる場合は、同じような危険性がありますので注意しましょう。ワークショップが終わった後に、参加者の感想とかアンケートをとることがありますが、ある参加者は「市の○○さんと、司会の○○さんの掛け合いで計画の内容はよく理解できました。しかし、それがほんとうに地域のための計画かどうか、これからじっくり考えていきたいと思います」と感想を書かれていました。そうです、そこから議論がスタートするのです。